2015年8月30日日曜日

ブログ引越しのお知らせ

本ブログは引越ししました。実はもう結構前に…。



今後はこちらのウェブサイトQuebec3で記事を書いていきます。

Quebec3をよろしくおねがします。

http://quebec3.com

したっけ

巨神兵

2015年1月31日土曜日

仕事変えてみた

日本の皆さんこんにちは。

最近ちょっとした変化があったんで、日記でも書こうと思って久々にブログを開いてみた。

この「カナダ移住日記」、立ち上げてから早くも4年が経つ。実は最近日記の更新頻度がグッと落ち込んできているのだが、それは別に書くという行為への情熱が減ったわけではなく、少しづつ別の媒体に書き始めているからなのである。このブログ自体もそちらに引越しすることを考えている。

というのも自力でウェブサービスを立ち上げる能力があるのに(去年学校行った。)Bloggerが音頭を取るブログシステムに乗っかって書く必要もないからだ。それに色々自分で組み込みたい機能やデザインがあるし…。

新しいウェブサイトが動くようになった際には告知するよ。今忙しいから何時になるかわかんないけど。


まぁいいや。


タイトルにもある通り、最近ようやく仕事決まって働き出したんで活動をちょこっと紹介しようかね。


それにしても今回は無職の期間長かった。楽しかったけど。

2014年の9月にセキュリティ会社辞めて就職できたのがこの前(1月中旬)、再就職まで 4ヶ月かかったし。(その内2ヶ月はインターンシップで消化したものの。)

実際に就職活動を開始したのが12月中旬からなので、ちょうど1ヶ月で就職決まったことになる。クリスマス休暇の時期は職探し的には最悪の時期だったらしいから、まずまず上出来と言えるであろう。

就職活動といっても単に会社にemailをバンバン送るだけ。いたって簡単である。自作の履歴書をmailに添付し、自分がウェブサイトを持っているならそのリンクも一緒に送ってやったり。特に巨神は学校出たばっかりで経験が無いに等しかったので、具体的にできることを表現するためウェブサイトを作り、見てもらうことは必須であった。
www.daishodesign.com



会社の概要


巨神兵が現在働く会社 (www.mapleharbour.ca) はベッド用品(ベッドカバー、毛布、枕カバーやシーツ等)やバス用品(シャワーカーテンやソープボックス等)を手がける会社。ちょっとIKEAと商品がかぶるのだが、彼らと大きく違うの点は、我々はネット上だけで商売しているのである。Amazonと同じで実際の店舗は存在しないのだ。
なので当然Web designer (巨神兵)DeveloperやSEO specialist達こそが会社(店舗)の骨幹となってしまうのである。

会社自体も立ち上げて2ヶ月ほどしか経っていないホカホカの新品会社、スタートアップなのである。社員も今のところたったの4人だ!
よく経験の無い巨神兵を雇ったな…。



仕事の内容


巨神兵はDesigner/Integratorなんで、当然デザイン担当します。
ウェブサイトも一見よくできているように見えるのだが、実は細かいエラーが散見されるしまだまだユーザーフレンドリーと言える状態ではないのだ。これから足していきたいコンテンツもあるしね。

とりあえず巨神の最初の一週間の任務はバナー(web上の広告)を作りまくることだった。またそれと並行して店舗を作り上げているMagentoという名の極悪システムを勉強することに。

このMagentoという名のE-commerceプラットフォーム、システムが極悪過ぎる巨神の知らない言語を使っている為、コードを読んだだけでは正直わからん。


うんうん唸っていると。ボスに「どうだ?いじれそうか?」と肩を叩かれたので

「何が起きているのかわからないよ。」と言っておいた。

まったく驚いた様子もなく「そうか。ま、勉強だな。」といって去っていく。


なんのことはないこのMagento様、ボスにとってもよくわからない代物なのだ。そう、この会社にMagentoを使いこなせる人間がいない。
じゃあ誰がこの店舗を作ったのかというと、会社の立ち上がりと同時に外部委託したのだ。さぞ高くついたことであろう。

残された我々はそれを運営・発展させねばならぬ。大丈夫か?


まぁこの謎システムは置いておくことにして、巨神兵は本業であるデザインに腰を入れることにした。これが為に雇われたのだ。



子豚ちゃん描かねば。

円や長方形を組み合わせていって…

部品ごとに結合させてっと…

最後に色を整えて…ウェブサイトの色に合わせて2パターン作るか…。
よし出来た。
作成時はフルサイズで作業したが、実際のウェブサイト上では親指の爪ほどのサイズで表示される。


この調子で、
よっこらしょっと。


保証書用のアイコン?
じゃあこんなのはどうでしょ、と
ボスが優しいのか巨神ができる奴なのか意見が分かれるところだが提出したものがドンドン通る。

楽しい。

元自衛官が異国の地で絵を描いてお金を貰えるようになると誰が予想したであろうか。
ありがとうカナダ。



会社の引越し


ところで昨日(金曜日)会社の引越しがあった。当初確保したオフィスが手狭になってきたからだ。

入社して2週間で引越しとは…。しゃあないやるか。


ここが巨神の元デスク。なんだか既に汚い。音楽聞きながら楽しく絵を描く主義なのでヘッドホンは必須。

引越しが一段落ついたところの(新)巨神デスク。広い。こりゃもう一個スクリーン置けるな。

さっそく巨神用に画面が届く。新品の開封はいつでもワクワクするものだ。


でーん。広いは正義。
一画面でも十分広いと思っていたのだが、きっとすぐ慣れるのだろう。


ボス曰く
「会社の方針として、DesignerやDeveloperが100%のパフォーマンスを発揮できるような環境を提供する用意がある。画面が足りなければ買ってやるしマシンパワーが足りなければ増強する。その他必要なものがあれば何でも言ってくれ。」

泣けた。

日本の会社に爪の垢を煎じて飲ませてあげてください。



いろいろ書いたけど今回はこんな感じで締めようかな。

今んとこ問題なくやってるけど、一応、試験採用期間が3ヶ月設定されてるんで油断は禁物。この期間内にパフォーマンス発揮できないと会社はそれを理由に軽易に解雇できるというここカナダでは一般的な仕組みだ。


この仕事は生涯のキャリアとしてやっていく意気込みなんで、まぁ頑張るわ。

したっけ。







2014年12月5日金曜日

Things nobody tells you about Japan

This is what I hated most about Self-Defense Force AKA Japanese Army.


Here's a local news released on Dec 3, 2014 Japan.
They found out that there's ONE rifle ammo missing after a live fire exercise yesterday (1,450 rounds shot by 50 soldiers). Of course (oh yeah?) they put everything aside and started to search for it. It must have been somewhere within the shooting range, but the search didn't go successfully at all. (Imagine losing a coin on the beach...) Then Regiment (their parent unit) came into play. They sent approximately 600 soldiers to find one rifle ammo, half-buried somewhere in their own shooting range. They searched the entire area over night against the clock.
In the early morning, another 70 soldiers were added and they happened to find it at 11:43 am today. The regiment commanding officer released a comment apologizing for disturbing local communities.

<実弾行方不明>陸自小銃訓練…1発捜し雪の中600人徹夜

毎日新聞 12月3日(水)20時18分配信
 「行方不明の実弾1個」を求め、陸上自衛隊弘前駐屯地(青森県弘前市)の隊員約600人が2日午後から徹夜で雪の岩木山麓(さんろく)を捜索し、3日昼前にやっと発見した。寒気が流れ込み深さ30~40センチに達した雪をかき分けての捜索だった。

 陸自第9師団司令部によると、第39普通科連隊の1個中隊50人が2日朝~午後、弘前演習場(同県西目屋村)で89式小銃(口径5.56ミリ)による射撃訓練を実施。それぞれが29発、計1450発を撃つはずが、1人が28発しか射撃していないことが判明した。薬きょうを確認すると、やはり1449個しかなく、「実弾紛失の可能性がある」と捜索を始めた。

 実弾の配布場所から射撃場まで、屋外の約50メートル区間が捜索範囲。中隊員たちだけでの捜索は難航し、投光器まで投入した徹夜の捜索に約600人が投入された。3日早朝にはさらに約70人が応援に入り、同日午前11時43分に雪中から実弾1個を回収した。
 第39普通科連隊長の平沢達也1等陸佐は「周辺住民や市民に不安と迷惑をかけ、おわびする」とのコメントを出した。【松山彦蔵】 
This kind of nonsense is taking place all over Japan as I write. It still annoys me today. I know it is important to keep civilians away from firearms since the gun-free policy must be respected in any situations in Japan right? However, due to this super-pacifist obsession, none of soldiers have ever and will dedicate 100% of their minds towards their exercise which is supposedly and obviously paid attention most.
This time it happened to be with a live ammunition, but definitely the same goes to a blank or even with a casing shell with no joke.
Japan's spending a huge amount of military expenditure to keep the door locked, but spending lots of time and assets as well searching for lost consumption articles like that.
This reality won't be known forever outside of Japan unless someone write out. So let me do this.

Part of me is still hoping SDF would be a normal military some day...

2014年9月26日金曜日

カナダ:職場での飲み会

皆様こんばんわ 巨神兵はまだ生きております。 

なんだか久しぶりにポカンと自分の時間ができたので、ここいらで日記でも書くかねーと思いでキーボードを叩いてみることにした。 

katakatakatakatakata........ 

あれそういや前に更新したの一年前じゃん。時間経つの早いんだなあ。 

どうでもいいことなんだけどパソコン買い替えてから初めての更新になる。 

そのせいか、いつの間にか小さい「あ」が入力できなくなってるんだなあああ。 


小さい「あ」、結構便利で気に入っていたんだけどなあ。ああああ。だめだ小さくならん。 

日本に帰ろうかな。 

小さい「あ」入力したいもんなあ・・・。 



まあいいや。 



もうすぐ(再び)無職になります。 



巨神兵はカナダにきてかれこれ4年半が経過します。そのうちの半分以上をセキュリティとして生計を立てているところ。 

基本、人の出入りが激しい職場なんで今じゃすっかりベテランの類いになっちまいました。 

2年半以上、こんなに長い期間同じ職務をやり続けたのって実は今までの人生でなかったのだ。毎日トラブル対処するのがセキュリティの仕事なのだが、さすがに2年半も居座っていると何が起きても動じなくなるもんよのう・・・。もはや何のストレスも感じない。 

そういや新大日本帝国陸軍(通称:陸上自衛隊)に在籍時は1年ごとに補職変えられてたっけなああ。 

あれって普通なんだろか。 

まあいいや。 

本題なんだけど、仕事と平行して1年間通っていた夜の学校(Web デザイン)がそろそろ卒業近いので、もう仕事辞めちゃおうって思っちゃった。 

もう家に寝るためだけに帰る生活に疲れちゃった。1年やったもん もういいっしょ…。 

だもんで辞めちゃいます。次の金曜日(9月5日)が最後の日。 

楽しみだなあ。



巨神兵の他に直属の上司も辞めるってんで、職場で送別会でもやるかってことになった。(ちなみにこちらで職場で飲みにいくのは凄くレアなのである。) 


かー飲むぞーー 

(1年前に酒を辞めたの旨を投稿したのだがもうすっかり飲んでいます。) 


金曜の夕方、仕事が終わって同僚達及び上司と合流。一番左の野郎が辞めてゆく上司だ。 



会場となるレストランはワインの持ち込みがokなレストラン。 皆のリクエストもあり、巨神兵は日本酒を持参。くそ高い。750 ml で$23ってとこだ。 これ日本じゃ御いくらなのでしょう…。 


この人相悪いハゲ野郎は一応の巨神の上官にあたる。上司というより、階級が上なのだ。だから上官。俺に命令する権限がある。 

ちなみに元ストリートギャングである。 以前、昔話をしてくれたのだがさすがにチョット引いたわ…まあ実際のところは正義感が強くて良いハゲである。 
セキュリティになった理由を聞くと過去の職場で3回も強盗にあったからだという。 
モントリオールにも治安の悪い地域は存在します。まあそんなとこ住むなってことだ…。 




彼が一応今回の主役。退職する上司。警察関係職に転職が決まりました。 

「巨神、何写真撮ってんだよ? 飲めよ!」  




頼んでないのになぜかホカホカのパンが到着。日本の居酒屋で言う「お通し」であろう。 

単体で食うとすこぶるうまい。日本酒との相性最悪なのは想像するまでもない。 




焼きたてのパンを日本酒に浸して食べてみたら不味くて涙目 

よって誰かが持ち込んだであろう、赤ワインを勝手に飲む。



どうせ誰も飲んでいないのだ。 




ここでそろそろ酒の回ってきた巨神兵は意識がキチンとしているうちに最後の自分を撮りにトイレへ。 

経験上、こっから先は覚えていることは無いであろうとの判断から最近こうするようになった。 

さよなら巨神兵 死ぬんじゃないよ。



今夜の巨神のディッシュはこちら。 

ムール貝とフレンチフライ。 まあうまい。 


隣に座る同僚は子牛のステーキをなんかを頼んでいる。男は黙ってムール貝よ。 



ビールなしでいきなり日本酒&ワインは効くなあ。視界がブレ始める。



と、そこで退職する上司の父親、はなむけの言葉なんかを用意していたようで、一発スピーチをする。 
自分の息子にサプライズでこんなことしちゃうなんてちょっとイキである。ちょっとグッとくる。 




素晴らしいスピーチも終わり拍手の一つでも…なんてところだが、カナダ人はそんなの気にしない。 
気付けばワインをグビグビ飲んでいる。 「巨神兵ー 日本酒美味しかったよー。」







こっから先は皆どんどん酒が回る。やったら肩を組んで写真を撮りたがるのだ。 



いい加減同じ場所も飽きてきたんで会場を変えることに。 


どこに行くんだか全くわからぬままとりあえず必死に付いていく。  





「おーし、飲むぞー!」 

お父さんもノリノリである。たどり着いたのはとあるバーだ。  



「うん、うまい。」  



この辺からなぜかダンスセッションに突入。 写真も(どうやら)巨神兵以外の人が撮っているようである。 
正直記憶がない。 



せっかくだからとなぜかハグを楽しむ巨神兵。たまには良いではないか。 




この辺でも、みんな意外としっかりしてる。既にパーティ開始から6時間以上経っているところ。  




カナダ人でピースする人初めて見た。 


左から2番目の女性を除き全員セキュリティ。
彼女達の共通の趣味は男のケツを蹴り上げることである。 



もうこの辺の記憶など全くないの。 




たぶん宴も最後の方。わしゃ何も知らん。  



ここに来ても我ギャング上官はテーブルの隅っこで様子見だ。
このあと彼に送ってもらうことになる。  



始まった。 みんな逃げてー。  



あーあ やっちまった。 

ちなみにやったのは巨神兵らしい。 後日同僚から聞くことに…。 

知らないよ。何も覚えてないもん。 

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あー楽しかった。 

久しぶりにあんなに飲んだよ。 

開始一時間半の時点で日本酒一本 (750mlだけど)開けてたし。 

あまりに巨神兵が暴走し過ぎているので、パーティの後半は同僚一同決心して巨神から飲み物没収することにしたらしい。 

後日、彼ら曰く「Daisho, you know what? You went too far!」(巨神兵あんたやり過ぎだよ!)とのこと。 


まあ 

日本と同じだよね。 カナダ人のみんなにも本当の僕を知ってもらって良かったよ。辞める前にさ。 

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したっけ。



2013年9月19日木曜日

精神病棟に入院してみた。

2004年夏、今振り返るとあれが彼の人生の大転機だったのかもしれない。なんせ精神病院(閉鎖病棟)に入院する羽目になったのだから。 

「彼」は巨神兵の友人であり、某特別職国家公務員であり、当時はそれなりに職責のある補職に就いており、まあ忙しくも充実した毎日を送っている様子だった。少なくとも私にはそう見えていた。 
元より勤勉な性格の彼は朝7時には登庁して仕事を開始しそれが夜の10時、11時過ぎまで続くのが常態であった。帰宅すれば深夜12時、土日もクソもあったものではなく起きている間は常に業務のことで頭が一杯の様子だった。 
そんな生活が数ヶ月続いたせいか、いつの間にやら彼は自発的にメンタル系の病院へ通うようになっており、私が気付いたときには向精神薬を週56錠も服用しなければならないほど深刻な状況に陥っていた。原因は彼が持つ業務の量とプレッシャーによるものは誰の目にも明らかであったが、当時の上司含め誰一人として根本的な対策を練ることはせず、つまりそのポストから下ろすなんて処置は一切実施されず、当の本人にもそんな考えは全く無いというか浮かばないようで、極度の消耗戦を続けたまま彼は与えられた椅子に座り続けた。 

ぶっ壊れるまでは。 


あれは2004年の夏の終わりだったと思う。まだ暑かったから。 

彼は自宅アパートで自殺を試みたものの幸い失敗に終わり、翌日職場の人間に発見・保護されそれが故に入院する羽目になった。精神病院と呼ばれるところである。 
(それでも肉体的には数週間の怪我を負った。) 

彼はその施設の中での日常を日記という形で残しており、一読してみたところ一体験談として正直貴重と思い、また(失礼であるが)意外と面白かったので彼の了承を得てここに掲載しようと思う。 


なお当該日記であるが、向精神薬の影響下か文章全般に乱れが散見された。例えば自分の呼称が「私」で書いてあると思ったら次の文では「俺」になっていたり、丁寧な表現とラフな物言いとが一文の中に混在していたり、文の書き方があまりに主観的でその場に居た本人以外には到底理解できないであろう箇所等、それらを含め一部修正して掲載していることをご了承願いたい。一方、スケッチの類は当時の日記をスキャンして掲載しているので現場で本人により描かれた生のものである。 


それではお楽しみください。 





2004年10月5日(火)午後9時18分


本日をもって入院生活開始。キッカケは語るほどのことでもないので割愛。俺が入院に至った経緯などはもうどうでもいい。ここでは普段人に知られることの無い閉鎖病棟/精神病院の内部について焦点を当てて書いていく。 

第3病棟 


俺の他に患者はたった5名。ガラガラだ。静かだ。閉鎖病棟と聞いていたので檻のある部屋に鍵かけて、椅子に縛られている奴が居て、ギャーとかウォーとかの雄叫びでも聞けるのかと思ってワクワクしてたんだけど意外と皆静かで大人しい。ちと寂しいくらいだ。 
でもまぁ、よく見るとやっぱ普通じゃない。他の患者達の様子はもう少し観察を続けてから後日報告するとして、まずはこの病棟の紹介といこう。 
まず、構成として一人一部屋という贅沢な部屋割。部屋のドア自体に鍵は無く、部屋にトイレは備え付けられていないが、ホールを通じて洗面所等は自由に行くことができる。部屋自体の印象は何と言うか明るく軽やかであり、清潔感があり、そんで無駄に広い。10畳くらいはあるんじゃないないかな。 
病棟全体の雰囲気はまったりと和やかで看護師が結構気さくに話しかけてくる。まるでこの空間だけ時間の流れから取り残されている印象だ。
ゆっくりと流れてますねー。 

部屋見取図 





入院手続き 


話は戻るが、本日朝早く入院の直前に受診をした。相手はこれから担当医になる人だ。実際単なる形式上のひとコマだが、一応最後に入院させる必要があるのかどうかを診なければならないらしい。ここでうまく立ち回れば入院自体がキャンセルになる可能性もあったのだろうが、すっかり流れに身を任せてみた。もう人を煩わせるのも煩わされるのにも疲れた。 

5分後、入院への片道切符があっさり出た。行き先は予定通りの第3病棟。閉鎖病棟http://ja.wikipedia.org/wiki/だ。この時点で既に色んな事を体験しちゃっていた俺はもはや何も感じなかった。 

その後、手荷物検査やら何やらを受けた。閉鎖病棟の特性から仕方がないのだが病棟内に私物として持ち込める物には結構制限を受けてしまうのだ。 
T字髭剃りはもちろん、携帯電話の充電器等のいわゆる「コードもの」、パジャマ代わりにと持ち込んだジャージの腰ヒモなんかも首吊りに使える可能性があるという理由でジャージからスルリと抜かれてしまう。(そのおかげで今朝からずっと腰パン生活だぜ。) 
あまりにじゃんじゃん取られるので、皮肉のつもりで「靴下でも首吊りできるよ。取ったら?」と係の看護師にアドバイスしておいた。 



2004年10月6日(水)午後8時33分 


眠い。昨晩は3時間しか寝られなかった。 
朝6時半に起床して、採血されて、朝飯食って、一服していたら(当時は喫煙者)あっというまに9時になった。 
突然、ホール内に聞き覚えのある音楽が流れ出す。ラジオ体操第一である。皆部屋から這いずり出てきては参加しているようなので俺も参加。10年以上していないけど体は覚えているもんだ。はは 楽しい。なんなくこなす。 



2004年10月7日(木)午後9時41分 


最近、ふら付き(突っ立っているだけでバランスが崩れて座ってしまいそうになるので、なんとかバランスを取ろうとして振り子のように振舞う症状)が酷い。最近まで殆ど出なかった症状だ。ここでは俺に限った症状でもないのだが、急に彼らの一員になっちゃったような気がしてなんか恐い。病棟内では皆慣れちまって全くもって見るに珍しくない光景だが、外に出れば明らかに異常だろうな。 
このため午前中はなるだけ寝て過ごすようにした。するとなぜか大分おさまった。ただの睡眠不足だろうか。 


今日、新たに新人が一人入院してきた。一見もの静かな輩なのだが、近づくと口で「プシュー、プシュー」って言ってるのが聞こえる。一日中だ。俺の眼から見てもヤバイ。歳は35〜40くらいかな。 





2004年10月8日(金)午後9時40分 




今日は午前中を寝て過ごし、午後卓球をした。強さは患者・看護師の中では中くらいといったところか。 
一人退院した。ここでは唯一の女性患者。さいなら。再び5名に戻る。 



病衣について 

第3病棟の患者のみが着ることを許された最強かつ最終の衣服。「特段の注意を要する患者」という警告の意味を持つ。 
これを着用していれば、他病棟の看護師からあらゆる意味で一目置かれること間違いなし。事情を知っている他の患者達からは徹底的に避けられること間違いなし。機会があって病棟外の喫煙所に行った時なんかは、海を割ったモーゼの如く周りの患者がみるみる引いて行く。こんな貴重な光景を第一人称の視点で味わうことができるのは閉鎖病棟の患者か総理大臣にでもなったときくらいだろう。 
あんなに満杯だった喫煙所のベンチがガラガラになるんだからこいつは便利な衣服だと前向きに考えてみる。 




2004年10月9日(土)午後9時38分 


本日、ふとしたキッカケから部屋の天井に患者監視用の超小型CCDカメラを発見。天井スピーカーの網目に紛れ込ませて設置されていた。はたから見たら全くわからん。 

発見できた理由はというと、看護師が出入りする看護センターの奥に、カラオケ店で見られる監視用モニターがご丁寧に部屋の数だけ並んでいるのが遠めに確認できたため、これはと思い捜索したのだ。結果ビンゴ。


どうしようかなと少し悩んだ挙句、なぜかカメラを塞いでしまおうということに決めた。手元にはちょうど飲み終わった缶コーヒー。缶に付いているポイントシールを剥がし、ベッドの上に立ち背伸びして天井のレンズにそっと張ってみる。 


5分後、もんのすごい勢いで職員が駆けつけてきた。この人凄い焦ってる… 

「すんません、カメラ焼きついちゃうんですよ〜(汗)それに常に監視してるって訳じゃないんでどうぞ気になさらないでください〜。」とあっさり剥がしやがりました。しかし別に怒られはしなかった。 

まさかと思ったが各部屋隠しカメラ付とは流石は閉鎖病棟。いい影響を与えるわけないので他の患者には黙っておこうと思う。 

しかし5分で駆けつけておいて「常に監視していない」って… 




2004年10月10(日)午後9時36分 


最近ふら付きが収まった。多分夜ちゃんと寝るようになって生活のリズムが大分戻ってきたからだろう。病棟備え付けのマンガも面白そうなものは殆ど読み尽くしてしまって残りはつまんないものしか残ってない。 

GTO、七夕のなんとか、稲中、ジパング、カバチタレ、なにわ金融道は全て読み尽くした。 




2004年10月11日(月)午後8時40分 



薬の時間 


飲み薬は各人毎必要な量を決まった時間に投与される。患者によっては1日4回、朝・昼・夜及び就寝前。俺は朝と夜の2回だけ、それも1錠ずつと極めて少ない。 


この病棟ではきちんと飲まない奴がいるのか看護師の前で飲むところを確認してもらわないといけないのだ。これが結構アホくさかったりする。慣れたけど。 




最近では患者達は「くすり箱」が来ると、その音を鋭く感知してホールに自動的に集合するのだ。まるでその光景は家畜の様でいてゾンビの様でもあり。なんというか見ていて飽きない。






1日のタイムスケジュール 


病院での1日は何もすること無いくせに短い。ダラダラと過ごしているせいだろうか。 


6時30分:起 床 

いきなり爆音で放送がかかる。「おはようございます。今日は10月11日月曜日です。」なんつってわざわざ曜日まで教えてくれる始末だ。言われなくともわかるんですけど。なんて思いながら起床。さっそくホールに集合して、体温及び血圧を測る。あと前日の便と尿の回数を所定の用紙に記入する。 

7時20分:朝 食 

朝っぱらから結構良いものを食わされる。食後は所定の用紙に主食及び副食をどれだけ食べたかを5段階で記入する。「5」は完食で数字が少ないほど残した量に反比例するというわけだ。ちなみに俺は毎日5だ。加えて食べ終わるのも誰よりも早い。というか皆動きがやたらと遅い。ちょっとシャバでは見ることのできないスピードと言えよう。まじでハエが止まるぞ。 

7時50分:朝の薬 

先ほど説明したとおり。 

9時00分:ラジオ体操 

まともにラジオ体操のスピードについて行けない奴が散見される。 

残りの午前中:フリー 

つまり自由時間。大抵寝て過ごしてしまう。最近二度寝にはまっている。マイブームなのだ。 

11時50分:昼 食 


12時30分:昼の薬 

俺は飲まない。 

13時30分〜15時00分:レクリエーション 

日や天候によって変化するが例えば天気のよい日は外に出て畑で野菜の収穫をしたり、クロッケと呼ばれるゲートボールのような低強度の運動をやる。というかさせられる。 
ちなみに我々患者が病院の外で移動する際は、全員縦一列に並ばされ、アヒル親子の如くこの列を崩さないようゆっくり前進せねばならない。どこの刑務所ですか。 
列の前後は看護師2名がガッチリ押さえており我々の逃走を未然に防いでいるのに気付きちょっと引く。車が多く通るような道はしっかり避けているところからも我々に無用な刺激を与えないようピリピリしているのが感じ取れる。ああそうか、看護師達にとっては患者を外に出すのはちょっとしたイベントなのだ。俺だったら絶対出さねぇなこいつらは。あぶねーもん俺を含めて。 
あと一般の人達から好奇の視線をこれでもかっていうほど浴びるが開き直って堂々と歩きたい。我々一同イカれてるって思われてんだろうが、まぁあながち間違いではない。 

雨の日なんかは外出させてもらえず、ホールでトランプやUNOをやったりしてマッタリ過ごす。卓球台もあるので卓球を楽しんだりもする。ちなみに俺はトランプの神経衰弱という記憶力が試されるゲームが一番気に入っている。 


18時00分:夕 食 

うまい。 

18時30分:夜の薬 

薬を飲む。 

20時30分:就寝前の薬 

俺はパス。 

21時00分:一部消灯 

この時点で部屋の照明とホールの一部の照明が消される。部屋は読書灯のみ使用可能なのがつらい。 

22時00分:完全消灯 


この時間からもう寝るしかやることがない。真っ暗で本も読めないし携帯も持ってないしタバコを吸いにも行けないので寝れないと本当に苦痛である。こんな暗闇でも天井の高感度CCDカメラはしっかり機能している点も苦痛に拍車をかける。  



あと寝てる間は部屋のドアの一部を開放しておかなければならない。数時間毎に巡回の看護師が点検に回ってくるからだ。人によっては寝ている顔に直接ライトを当ててくるのだから少し辛い。でも一度寝ちゃえばへっちゃらである。







2004年10月12日(火)午後9時22分 



今日でまる一週間が経った。なんだかたったの一週間なのだが昔からここに住んでいるかのような錯覚を覚える。 
なんと早くも退院の日が決まった。来週の火曜日、残り一週間だ。担当の医師と俺の上司で水面下において合意に行き着いたのだろう。退院後も一人で過ごして大丈夫だろうとの担当医の見解がはっきりと上司に伝わったとの事。これで職場に帰っても強引に誰かの家に泊めさせられたりすることはなさそうだ。 
ただ担当医に今一度念を押された。「というわけで今後、自傷行為及び自殺企図があっても〇〇(俺)さん自身の責任になります。(一部略)今、当該会社では自殺事案に敏感になっていて、こういう事案が起きた場合、組織としての責任問題に発展することになりかねません。しかしながら〇〇さんの場合、今後は何が起きても「病気」ということではなく単に個人の事故としてあなた自身で責任を負うことになります。」云々。 
なるほど、だから出られるようになったんだな。別に組織のせいにしたいなんて思ったことすら無いよ。何言ってんだか。 



2004年10月13日(水)午後8時32分 



残りあと一週間ということもあり、意外と期間が押してきているので少々焦る。病棟全体の様子なんかも描写しきれていないんでようやくここで紹介。 


保護室 



第3病棟には保護室と呼ばれる開かずの間が存在する。映画「ハンニバル」の如くレクター博士の気分を味わいたければ入るしかない。中をホールからチラッと見たけれどシャワーもトイレも備え付けられている。冷たそうなステンレスの壁が部屋全面を覆っており異様な雰囲気である。そして酷く暗い。よく考えたらドア越しにシャワーとトイレの便座が見えてるっておかしくね? 
一見しただけでは拘束椅子は確認できず。どこかにしまってあるだろうか。 
ここまで来たら体を張ってレポートしたいところだが、入院期間の延長は確実なので止めておく。 

ところで今日はオセロをした。看護師2名を破り患者1名も倒した。これまでのところ4戦4勝、気分が良い。その後卓球もした。ダブルスでやった。俺は一番まともな男の看護師と組んだ。病棟内総当たり戦で他の4チームをなぎ倒し全戦全勝。これもまた気分が良い。 

退屈だ。ここではもうやる事がない。「人によっては長く入れると逆に悪化する恐れがあります。」と担当医が初日に言っていたのを思い出す。 


最高の喜び(病棟にあった本に載っていたのを面白かったので勝手に転載。) 

私は科学者だ。科学者の中の化学者だ。思えば長い道のりだった。研究を続けて十余年、完璧な精神安定剤を求めてきた。既存のものは眠くなったり、だるくなったり、運動神経が鈍くなったりしてしまう。私が欲しいのは感情のみを完全に安定させるものなのだ。 
それが遂に完成した。 
さあ、いよいよ自分で人体実験してみよう。もちろん効力については自信満々だ。錠剤を口に入れた。水を飲む、ゴクン。3分も経てば効くはずだ。あと2分、1分、30秒、5、4、3、2、1、0秒。やった成功だ! 
この嬉しくないことといったら。 




2004年10月14日(木)午後8時49分 




退屈だ。暇だ。今日1人新米がやってきた。40代後半のオッサンだ。見たところまともだ。なんで来ちゃったのか。 
正直、俺の目が慣れたのか他の患者達も思っていたよりずっとまともだ。もっとすごいところだと思ってたのでガッカリだ。 
誰か暴れないかな。 




2004年10月15日(金)時刻記載無し 




今日も新人来た。博士みたいな奴だ。今日も暇。あちょー 




2004年10月16日(土)午後7時39分 




今日はレクリエーションも無かったので1日寝て過ごした。こんなことでいいのか。この調子であの戦場のような職場に復帰できるのだろうか。 
最近空を見ていない。 
あちょー 




2004年10月17日(日)午後8時41分 




あと2回寝たら退院だ。ここでの2週間はなんとものんびりとしたものだった。暇があったら昼寝して看護師に起こされたと思ったらもう昼飯、飯食った後卓球してトランプして、また昼寝して気が付いたら夜飯の時間で、一服して、マンガを読み本を読み9時には床につき。 
それもあと2日で終わりだ。後にも先にもこんな経験はできないだろう。自由は無いが心配事も無い。退屈だが苦痛は無い。一生ここに居るのと外へ出て頑張るのとではどちらが幸せだろうか最近よく考える。 
やはりここに1年も2年も居たら間違いなく職場復帰できないどころか社会復帰すらあやしい。さすがの俺ももう一度外へでて自由を手にすることを望むのだ。 



さようなら精神病院。二度と戻ってきませんから。つうか外に出たら入院保険くらい入っとこうと思うのだった。





2004年10月18日(月)午後4時57分 



いよいよ明日退院である。以前、職場の人が車で迎えに来てくれると人伝えに聞いたのだが、何時にどこでどんな車両で来るのか、また誰が来るのか全く不明であった。職場に電話しても誰も出ない。ホールにある公衆電話から上司の携帯にかけても出ない。そうこうしているうちに午後4時を過ぎてしまった。 
ここでは午後4時〜5時の間、ナースステーションで日勤と夜勤の看護師が申し送りをするので一般患者は立ち入ることができなくなってしまう。外に出て自分の携帯電話を使おうと試みるも外出するためにはナースステーションからの許可を得なければならず、そもそも携帯自体持たされていない。内部の公衆電話を使おうにも財布を看護師達が掌握しているため、全く外部と連絡がとれない状況に陥ってしまっていた。それでもヒョッコリ看護師が一人たまにやって来て、明日はお迎え何時に来ます?とか聞いてくるのだからたまらない。 
どうすれっちゅーの 

5時頃になってようやく連絡がとれた。 
昼ごろ上司と人事のトップが来るそうだ。なぜ単なる迎えに人事が動くのか疑問に思ったがどうやら今後の俺の進退について担当医と直接話をするらしい。 
元の職場に見事復帰するのか、はたまた訳のわからん部署に飛ばされるのか、そもそも転勤か?まさかクビでは… などとあらぬ考えが浮かぶ。 
つうか本人に寸前まで何も伝えないところが我が組織の恐ろしいところである。 

勝手な想像だが、このまま元の職場に復帰すると拳銃やら弾薬やら自害をするにはもってこいのモノを扱わざるを得ない。俺が再び暴挙に走り出すか分からずビビッてしまっている上の方々は俺が火器を扱うことに対し非常に敏感になっているはずだ。 
こう考えると、どうも同じ場所に戻ることは無いんじゃないかと思われるのだ。 


最後に、ちょっと前まで50名規模の部署で日々の業務を割り振ってきた人間が、今じゃ「しろくまチーム」「パンダチーム」などに割り振られて、ゲートボールやらシリトリやらして日々を過ごしている。うまくこなしたら「わぁすごいね。」って褒められる。 

人生は分からないものだ。 



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なんだか後半のやっつけ感が半端ないのだが、日記はここで終わりである。 

少々乱暴な内容に賛否両論あるだろうとは思うが(まさか炎上しねえだろうな…)、本人の精神状態を含めた当時の温度をそのまま残したつもり。それにしても人を見下しているな。 

彼はというと退院後、非公式の配置転換により静かな部署にひっそり送られることに。しかしラッキーなことに非常に面倒見の良い上司に恵まれ1年半近くのリハビリ期間を経た後再び高強度の部署へ戻って行く。 
その時も彼が持つ勤勉さは少しも失われていなかったが、多忙な業務の中においても自分の生活を守る「一線」は常に忘れないように努めるようになっていた。できないものはできんと上司に仕事を投げるようになったのもこのあたりからである。 

業務に潰され精神病院に送られた事実だけみると何とも不幸な出来事にもみえるのだが、彼の会社に廃人をリハビリさせて復帰させるほどの体力的余裕があった点では彼はある意味幸運だったのかと思う。 

彼は数年前にこの会社を辞め、日本も離れ、現在遠く離れた外国でそれなりに暮らしているらしい。まぁ死ななくて良かったな。 




したっけ。